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映画の紹介とかいろいろ(ネタバレあり)

『砂の器』親と子の宿命とは 3 最終回

   

この映画の公開後、脚本担当の橋本忍は松竹本社で社長の城戸四郎に呼び止められた。

「君が砂のなんとかで野村を引っ張ったせいで、計画はつぶれた。
野村君には監督辞めさせて、営業で勉強させて、そのあとは松竹の社長にするつもりだった。
君のせいだよ」

橋本は茫然とした。

さて今西が奥出雲で何の収穫もなく帰京した後、吉村は国鉄沿線で布切れを発見。
鑑識の結果、O型の血液が付着していた。被害者のみきの血液と一致したのだ。

ここから布切れを捨てた、高木理恵子の捜索が始まる。

理恵子は愛人の和賀の命令で血液の付いたポロシャツを切り刻み列車からばら撒いたのだ。
そして理恵子は和賀の子供を妊娠していた。
和賀は堕胎しろと冷たく彼女に言い放つ。

しかし理恵子はこのあと流産による出血多量で死んでしまう。

その頃今西は和賀の戸籍を調べるため、大阪に来ていた。

ここでこの物語のトリックがまた出てくる。

戦災や災害で戸籍の原本が消失した場合
本人の申し出によって、戸籍復活の措置が取られる。
これは法律的に合法である。

どうやら和賀は大戦によって消失した戸籍を虚偽の自己申請したようだ。

何故か?

ここからがこの映画のクライマックスである。

橋本は山田と共に映像的ではないこの原作小説をどうしようか悩んでいた。
しかしある一文が彼らの目を引いた。

「ここだよ、山田君」

それはこのような一文である。

「この哀れな親子がどこからどこを歩いたかは定かではない」

実は和賀は石川県の出身で幼いころ父の病
ハンセン病によって故郷を追われて親子は巡礼の旅に出たのであった。
本名は本浦秀夫、父は千代吉。

このクライマックスシーンは
捜査会議と
和賀の演奏会
そして哀れな親子の旅の回想のモンタージュによって描かれる。

この親子の旅の映像は圧巻で日本の四季を通して描写されるが
菅野光亨の日本映画史上最高の音楽と相まって涙を誘う名シーンとなった。

人形浄瑠璃から発想したこの脚本の構成こそはこの映画が
「原作を超えた」
と清張をも唸らせた成功の要因である。

島根県まで親子がたどり着いたときに
彼らの面倒を見たのが
当時この地で巡査をしていた被害者の三木謙一だった。

三木は病が悪化した千代吉を瀬戸内海に浮かぶ小さな島の療養所へ移送
そして息子の秀夫を養子として迎える。

この親子の駅での別れのシーンが泣かせる。
かめだけの駅で父と子は抱き合って号泣する。
日本映画史上最も涙腺が爆発するシーンだった。

しかし三木夫婦の寵愛にも関わらず、秀夫は家出する。
それは判れた父に会いたかったからかもしれない。

乞食をしながら、大阪までやってきた秀夫は
天王寺にある和賀自転車店で丁稚として住み込みで働いた。
そして店主夫婦が戦災によって亡くなったあと、戸籍復活の嘘の手続きを行った。

そして苦学して音楽大学で学び天才作曲家として活躍していたのだ。

彼の所在を知った三木には戸籍詐称を追求されるから殺害に及んだのか?

それは違った。

三木は和賀に余命いくばくもない父・千代吉に会ってくれと懇願したのだ。

そう千代吉は生きていたのだ!

会える訳がない。大蔵省の大臣の娘との結婚も控えた和賀である。

全てが無に帰すことになる。そして殺害に及んだ。

今西は千代吉に会いに行った。そして和賀の写真を見せた。

「知らねー、こんな人知らねー!」

千代吉は号泣した。

今西と吉村は和賀を逮捕するため演奏会場に向かう。

「和賀は父親に会いたかったんでしょうか?」
吉村は今西に尋ねた。

「そんなことは決まっとる。和賀は、音楽、音楽の中でしか父親と会えないのだ!」

演奏会場では観客から拍手喝さいの和賀がステージの上でスポットライトを浴びていた。

ラスト、こんな字幕タイトルが出てくる。

「病気への差別とは、非科学的な偏見によって増幅される。
しかし父と子の宿命だけは永遠である」

社会的なメッセージを残してこの悲しい物語は幕を閉じる。

 - 邦画