EIGA☆YAN

映画の紹介とかいろいろ(ネタバレあり)

親と子の宿命とは『砂の器』その2

   

橋本忍は兵庫県の神崎郡の生まれ。

父は地元で興行の仕事もやっていた。
日本中を巡業するドサ廻りの一団を仕切り、劇場を借りて何度も芝居興行を打った。
そんな父が晩年、病気で倒れた。父は病床で橋本にこう言った。

「おまえの脚本はどれもつまらんが、『切腹』とまだ映画化されてない『砂のなんとか』は面白い。
これを映画化すれば当たるはずや。ワシも興行師の端くれや。なんで映画化に会社が乗らんのか不思議じゃ」

まもなく父は亡くなったが橋本は父の棺に『砂の器』の台本を入れた。
台本は父の亡骸と共に焼かれた。

この父の言葉に何かを感じた橋本は、どうにかこれを映画化したいと思うようになった。
それは執念だった。いや父と息子の宿命であったかもしれない。

しかし地味な内容の上に大規模なロケーションを必要とするこの厄介な代物を
松竹は回避した。様々な映画会社を回ったがどこも良い返事をくれない。

だが驚くことにある日、シナノ企画が資金の一部を出すと言ってきた。
シナノ企画とは創価学会の映像事業部の組織である。

最終的には橋本プロとシナノ企画が制作費をねん出。
(1億7000万円の製作費のうち2000万円は橋本プロが出資)
結局、企画を橋本は東宝に持ち込もうとして、慌てた松竹が制作にGOサインを出した。

この後、橋本はシナノ企画の恩もあり
創価学会の宗教映画『人間革命』(舛田利雄監督)の脚本を渋々受ける事になったのだが。

(ここより先ネタばれ注意!)

今西と吉村は何の手がかりもないまま、東京へ戻ってきた。
しかし被害者の身元が判明した。
被害者は岡山で雑貨商を営む三木謙一(緒方拳)であった。
お伊勢参りに出かけたままその後行方不明。

義理の息子も何故東京に出てきたのかわからないと言う。
息子は今西にこう語った。
「父は息子のワシが言うのもおかしな話じゃが、実に立派な人じゃった」
悔恨で殺されたなんてのはあり得ないとも語る。

しかも「カメダ」なんて人も土地も知らないと言う。
東北なんかに三木は住んだことも無かったらしい。

「事件は振り出しに戻ったな」
刑事部長はそう嘆いた。

ある日、吉村刑事は新聞記事を読んだ。
それは美しい女が列車の窓から、紙切れを捨てていた
その情景があまりにも美しかったと云う記事であった。

担当の記者に尋ねた。

「それは布切れでは無かったか?」
そこまでは判らないが記者はこの女と偶然にも会ったと語る。

女は銀座の高級バーのホステスで高木理恵子(島田陽子)と言った。

吉村はバーに赴き、高木に尋問。
そのバーに列車の中で会った和賀が、婚約者とやって来た。
婚約者は大蔵大臣・田所(佐分利信)の娘であった。
そして尋問の途中、理恵子は忽然と消える。

この映画はここで犯人が和賀であるらしい事を知る。
しかも理恵子は和賀の愛人で
列車から布切れを捨てさせたのも和賀である事がわかる。

しかし犯行の動機はまだ観客にはわからない。

今西はある日重大な事を知る。

中国地方の島根県にに「カメダ」ならぬ「かめだけ」と言う土地があったのだ。
しかも三木はかつて巡査だった時代に「かめだけ」に赴任していた。

国語研究所に赴いた今西は更に重大な事実をつかむ。
なんと島根県の方言の音韻が東北のズーズー弁と酷似していると言うのだ。

この『砂の器』の驚くべきトリックは松本清張の功績であるが
ここで少し説明すると、清張は学芸員のスタッフを数人雇っていた。
そのスタッフには図書館やあるいは大学などで小説のネタになりそうな事柄を調査させていた。

小説は作家の単独作業であるが、清張はこのようにスタッフを雇って小説のネタを探していたのである。
映画製作のように分業化して小説を書いていたのだ。
だからこそ清張はあの膨大な量と質を生み出したと言える。

おそらくこの訛りのネタもスタッフが探してきたネタだと推測される。

今西は単独で島根県の「かめだけ」に捜査のため旅立つ。
しかし三木を知る人々は口々に「立派な人だった」と語る。

更に三木と懇意にしていた老人(笠智衆)も同様であった。
その老人からこんな話を聞く。

「ある日この村に哀れな乞食の親子がやってきた。その親子を保護して
病気だった父親も病院へ送る手立てをすべて彼はやった。本当に立派な人じゃった」

三木を恨む人などましてや殺される理由もこの土地には何も無いようだった。

続く。

 

【参考映画】

 - 邦画